人気バイオリニストで、バラエティでも毒舌キャラで活躍している高嶋ちさ子さん。
高嶋さんは幼少期からバイオリンを習い、お嬢様としても知られていますが、父親はどんな職業だったのでしょうか?

今回は、高嶋ちさ子さんの父親の職業について解説していくニャ!



気になります!
ねこ先生、お願いします!
高嶋ちさ子の父親の職業は敏腕プロデューサー!


高嶋ちさ子さんに負けず劣らずパワフルな父親の職業について、調べてみました!
高嶋ちさ子さんの父親・弘之さんの職業は音楽プロデューサー兼、ディレクターでした!
高嶋弘之さんは兵庫県神戸市東灘区育ちで、神戸高等学校という偏差値77で県内トップの公立高校出身の秀才。
その後、早稲田大学文学部に進学し、卒業後は東京芝浦電気株式会社のレコード事業部に入社(のちの東芝EMI)しています。
そこで音楽ディレクターとしてキャリアを積み、洋楽ディレクターとして活躍しました。



弘之さんは、誰もが知る海外アーティストの仕掛け人だったニャ!
日本でのビートルズの仕掛け人だった!


先見の明があった高嶋弘之さんは、当時ヨーロッパでデビューしたビートルズに目を付け、日本での仕仕掛け人になりました!
当時、日本ではまだ無名だったそうですが、弘之さんは必ず売れる!と確信があったようですね。
弘之さんは初代ディレクターとなり、
- 部下を当時のビートルズヘアである、マッシュルームカットにさせて、「今ビートルズカットがブーム」と記事にのせた
- ラジオのリクエスト番組で、大学の後輩をバイトに送り込み、自社のアーティストの曲を流させた
- ビートルズのレコード鑑賞のイベントでは、女子高生に悲鳴を上げるように支持
など、数々の戦略を撃ち、見事ビートルズは日本でも大人気となりました。
ビートルズの邦題のほとんどを、弘之さんが名づけたそうですよ!



日本でのビートルズ人気の陰には、高嶋ちさ子さんの父親の努力があったんですね!



これだけでも十分スゴイ人なんだが、その後の経歴もまたすごいニャ!
高嶋ちさ子の父親の経歴がスゴイ!


高嶋弘之さんは1969年35歳の若さで退社し、現・ポニーキャニオンの設立に尽力し、取締役制作部長に就任。
1976年にはポリグラムグループに移籍し、社長、ロンドンレコード副社長、ポリドール・レコード常務を歴任しました。



ポニーキャニオンは、音楽やコンサート、書籍の販売など、数々のエンターテインメントに関わる事業をする会社ニャ!



ポリグラムは、海外のレコード会社ですね!
大手音楽会社で実績を残してきた弘之さんは、その後、自身の会社を設立しました。
現在は自身の音楽事務所社長!


高嶋弘之さんは、1986年に自らの会社である『高嶋音楽事務所』を設立。
主にクラシック音楽のアーティストのマネジメントやプロデュースを手掛け、今もなお現役を貫いていらっしゃいます!
高嶋弘之さんは2025年5月18日には、なんと91歳!
89歳の頃にはアメリカに住むお孫さんに会いに、アメリカ東海岸の旅をしてきたそうですよ!
現在でも、はきはきとた口調とフットワークの軽さで、テレビなどのメディア出演や講演会等、マルチに活躍していらっしゃいます。
ちさ子さんは『じっとしていられないのは父親の遺伝だ』と仰っていましたよ。



人生を謳歌するとは、まさに弘之さんのことだニャ!



色んな事を楽しむ姿がかっこよすぎますね!
まとめ
今回は、高嶋ちさ子の父親の職業は敏腕プロデューサー!ビートルズの仕掛け人だった!をお送りしました。
テレビなどでお見掛けする姿を見ても、ただモノではない雰囲気でしたが、ビートルズを日本に広めた立役者だったことが分かりました。
現在も現役で音楽事務所代表として活躍し、講演会や執筆業など、バリバリに活動されています。
90代で自身のInstagramで発信しているとか、凄すぎますよね!
今後も末永く活躍していただきたいですね!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。








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